サックス演奏が変わる!アレクサンダーテクニーク驚きの効果

1章 アレクサンダーテクニークとは:サックス演奏者のための基礎知識

1.1 アレクサンダーテクニークの概要

1.1.1 アレクサンダーテクニークの起源と基本的な目的

アレクサンダーテクニークは、20世紀初頭にオーストラリアの俳優、フレデリック・マサイアス・アレクサンダー(Frederick Matthias Alexander, 1869-1955)によって開発された教育法です。自身の舞台パフォーマンスにおける声の問題を解決する過程で、彼は、無意識の習慣的な身体の使い方が、姿勢、呼吸、動作に悪影響を及ぼしていることを発見しました(Alexander, 1932)。アレクサンダーテクニークの基本的な目的は、これらの不必要な習慣に気づき、それを抑制し、より効率的で調和のとれた身体の使い方を再学習することにあります。このプロセスを通じて、個人の潜在能力を最大限に引き出し、パフォーマンスの向上、痛みの軽減、全体的なウェルビーイングの改善を目指します(Gelb, 2002)。

1.1.2 アレクサンダーテクニークの中核となる考え方:「気づき」と「選択」

アレクサンダーテクニークの中核となる考え方は、「気づき(Awareness)」と「選択(Choice)」です。まず、私たちは日常生活や特定の活動(楽器演奏など)において、どのような身体の使い方をしているのかを意識的に観察することから始まります。多くの場合、私たちは無意識のうちに、特定の筋肉を過剰に緊張させたり、身体のバランスを崩したりする習慣的なパターンを持っています(Jones, 1997)。アレクサンダーテクニークは、これらの無意識の習慣に「気づき」をもたらすことを重視します。

次に、「選択」の概念が重要になります。気づきを得た上で、私たちはこれらの習慣的な反応をただちに実行するのではなく、一時停止し、より建設的な身体の使い方を選択する機会を持ちます。この「抑制(Inhibition)」のプロセスは、アレクサンダーテクニークの重要な要素であり、刺激に対する自動的な反応を意識的に止めることを意味します(Alexander, 1932)。そして、より意識的な「指示(Direction)」を与えることで、身体の各部分がどのように協調して動くべきかの方向性を示し、より効率的で楽な動きを促します(Brennan, 2004)。

1.2 なぜサックス演奏にアレクサンダーテクニークが有効なのか

1.2.1 楽器演奏における身体の使い方の重要性

楽器演奏は、高度な技術と芸術的な表現を必要とする複雑な活動であり、演奏者の身体全体が楽器と一体となって機能する必要があります。不適切な身体の使い方は、演奏能力の低下、疲労の蓄積、さらには演奏に関連する様々な問題(Musculoskeletal Disorders, MSDs)を引き起こす可能性があります(Ranelli et al., 2014)。例えば、過度な筋肉の緊張は、滑らかで正確な指の動きを妨げたり、呼吸を浅くし、音色や音量に悪影響を与えたりすることがあります(Kenny, 2011)。したがって、楽器演奏者にとって、効率的で無理のない身体の使い方を習得することは、技術的な向上だけでなく、持続可能な音楽活動を送る上で不可欠です。

1.2.2 サックス演奏特有の身体的負担とアレクサンダーテクニークの関連性

サックス演奏は、その楽器の構造と演奏姿勢から、特有の身体的負担を伴います。楽器の重さを支えながら、特定の姿勢を維持する必要があるため、首、肩、背中、腕などに不自然な緊張が生じやすい傾向があります(Osborne & Kenny, 2005)。また、マウスピースを咥え、息を吹き込むという動作は、顔面や喉の筋肉にも特定の負担をかけます。これらの身体的負担は、長時間の練習や演奏によって慢性的な痛みや不快感につながる可能性があります。

アレクサンダーテクニークは、これらのサックス演奏特有の身体的負担に対して、根本的な解決策を提供します。身体全体のバランスを整え、「頭-首-背中」の関係性(プライマリーコントロール)を改善することで、楽器の重さをより効率的に支え、不必要な筋肉の緊張を解放します(Alexander, 1932)。また、呼吸のメカニズムを最適化することで、より楽で深い呼吸を促し、演奏に必要なエネルギーを効率的に供給することができます(Dennis, 2000)。

1.2.3 従来の練習法とアレクサンダーテクニークのアプローチの違い

従来の楽器練習法は、多くの場合、特定の技術や音楽表現の習得に焦点を当て、反復練習を通じて身体的なスキルを向上させることを目指します。しかし、このアプローチでは、演奏者が無意識に抱えている非効率的な身体の使い方が見過ごされがちです。その結果、努力しているにもかかわらず、技術的な進歩が遅かったり、身体的な問題を抱えたりする可能性があります(Valentine, 2006)。

一方、アレクサンダーテクニークは、演奏技術の習得と並行して、あるいはその前に、演奏者の身体の使い方そのものに意識を向け、改善することを重視します。問題解決のアプローチも異なり、従来の練習法が直接的な症状への対処や特定の動きの改善を目指すのに対し、アレクサンダーテクニークは、身体全体の機能的な統合を高めることで、問題の根本原因にアプローチします(Jones, 1997)。つまり、アレクサンダーテクニークは、より意識的で効率的な身体の使い方を学ぶことで、従来の練習の効果を最大限に引き出し、より自由で質の高い演奏へと導くことを目指すのです。

2章 驚きの効果:アレクサンダーテクニークがサックス演奏にもたらす変化

2.1 呼吸機能の最適化と音への影響

2.1.1 身体の緊張緩和による自然で深い呼吸の実現

サックス演奏において、安定した豊かな音色を生み出すためには、効率的な呼吸が不可欠です。しかし、演奏時の不必要な身体の緊張は、呼吸筋の動きを制限し、浅く不自然な呼吸を引き起こすことがあります(Hodges & Gandevia, 2000)。アレクサンダーテクニークは、首、肩、胸などの過度な緊張を解放することで、横隔膜や肋骨周りの筋肉がより自由に動けるようになり、自然で深い呼吸を促します(Alexander, 1932)。

例えば、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校(Guildhall School of Music and Drama)の研究では、アレクサンダーテクニークのレッスンを受けた音楽家は、呼吸の深さと効率が向上し、演奏時の呼吸に関する不安が軽減されたことが報告されています(Valentine et al., 1995)。この研究では、呼吸量の増加や呼吸筋活動の変化が客観的な指標として示されました。

2.1.2 呼吸のコントロール向上と息の効率的な使い方

深い呼吸が可能になるだけでなく、アレクサンダーテクニークは、息の流れのコントロールと効率的な使い方を向上させる効果も期待できます。身体全体のバランスが整い、呼吸筋群が最適に機能することで、息をよりスムーズかつ均一に楽器に送り込むことが可能になります(Dennis, 2000)。これにより、息切れを防ぎ、より長いフレーズを安定して演奏することができるようになります。

2.1.3 ロングトーンの安定性向上と豊かな音量

安定した呼吸は、ロングトーンの持続性と音質の安定性に直接的に影響します。不必要な緊張が解放され、呼吸が深くコントロールされることで、息の圧力が一定に保たれ、音の揺れや途切れが減少します(Kenny, 2011)。また、より多くの息を効率的に使えるようになるため、無理なく豊かな音量を出すことが可能になります。

2.1.4 ブレスノイズの軽減とクリアな音質

演奏中のブレスノイズは、音楽的な表現を損なう要因の一つです。アレクサンダーテクニークを通じて、呼吸の開始と停止、息の吸い込みと吐き出しの際の身体の使い方が改善されると、これらのノイズを最小限に抑えることができます(Alexander, 1932)。自然でスムーズな呼吸は、楽器への息の流れをよりダイレクトにし、クリアで純粋な音質を生み出すことにつながります。

2.2 姿勢改善による演奏パフォーマンスの向上

2.2.1 「頭-首-背中」の関係性(プライマリーコントロール)の改善と演奏姿勢

アレクサンダーテクニークの最も重要な概念の一つに「プライマリーコントロール(Primary Control)」があります。これは、頭と首、そして背骨全体の間の調和的な関係を指し、全身の動きの質と効率に大きな影響を与えます(Alexander, 1932)。サックス演奏において、このプライマリーコントロールが阻害されると、首や肩に過度な緊張が生じ、姿勢が崩れやすくなります。

アレクサンダーテクニークのレッスンを通じて、演奏者はこの「頭-首-背中」の関係性を意識的に改善する方法を学びます。例えば、頭が脊椎の頂点で自由にバランスを取り、首の筋肉がリラックスすることで、背骨全体の自然なカーブが保たれ、無理のない演奏姿勢を維持できるようになります(Jones, 1997)。

2.2.2 肩、腕、手首の不必要な緊張の軽減

不適切な姿勢は、肩、腕、手首などの上半身の筋肉に不必要な緊張を引き起こし、滑らかで正確な指の動きを妨げる原因となります(Ranelli et al., 2014)。プライマリーコントロールが改善されると、これらの部位の過度な緊張が自然に解放され、よりリラックスした状態で楽器を保持し、演奏することが可能になります。

2.2.3 バランスの取れた立ち方・座り方と楽器のホールディング

サックス演奏には、立奏と座奏の両方がありますが、いずれの場合もバランスの取れた姿勢が重要です。アレクサンダーテクニークは、重心の位置、足の裏の感覚、骨盤の安定などを意識することで、無理のない立ち方や座り方を身につけることを支援します(Gelb, 2002)。また、楽器を保持する際にも、身体全体のバランスを考慮し、特定の部位に過度な負担がかからないようなホールディングの方法を学びます。これにより、長時間の演奏でも疲労感を軽減し、集中力を維持することができます。

2.2.4 長時間演奏における疲労感の軽減と持続力の向上

不適切な姿勢や過度な筋肉の緊張は、エネルギーの無駄遣いにつながり、早期の疲労感を引き起こします(Valentine, 2006)。アレクサンダーテクニークによって、より効率的な身体の使い方が身につくと、無駄なエネルギー消費が減少し、長時間にわたる演奏でも疲労を感じにくくなります。これにより、練習や本番での持続力が向上し、より質の高い音楽活動を送ることが可能になります。

2.3 身体の使い方の意識改革とテクニック向上

2.3.1 無意識の癖や不必要な力みの発見と解放

私たちは、日常生活や過去の経験から、多くの無意識の身体の癖や不必要な力みを持っています。これらの習慣は、楽器演奏においてもパフォーマンスを阻害する要因となることがあります(Alexander, 1932)。アレクサンダーテクニークのレッスンでは、教師の誘導や自己観察を通じて、これらの無意識の癖に気づき、それを解放していくプロセスを経験します。例えば、特定の音を出す際に肩が上がってしまう癖や、フレーズの終わりで呼吸を止めてしまう習慣などに気づき、より効率的な身体の使い方を選択できるようになります。

2.3.2 全身の協調性を高めることによるスムーズな動作

楽器演奏は、身体の様々な部分が協調して働くことで、滑らかで表現豊かな音楽を生み出すことができます。アレクサンダーテクニークは、身体の各部位が孤立して動くのではなく、全体として統合的に機能することを促します(Jones, 1997)。例えば、指の動きだけでなく、腕、肩、体幹、呼吸などが連動することで、よりスムーズで自然な演奏が可能になります。

2.3.3 フィンガリングの正確性と軽快さの向上

サックスの細かい音階やトリルなどの演奏には、正確で軽快なフィンガリングが求められます。不必要な力みがあると、指の動きが硬くなり、ミスが増えたり、スピードが出なかったりすることがあります(Ranelli et al., 2014)。アレクサンダーテクニークによって、腕や手の不必要な緊張が解放され、指がより自由に動かせるようになると、フィンガリングの正確性と軽快さが向上します。

2.3.4 タンギングの明瞭性と反応速度の改善

タンギングは、音の始まりを明確にし、音楽的なフレージングを形作る上で重要なテクニックです。首や喉、舌周辺の不必要な緊張は、タンギングの明瞭さを損ない、反応速度を遅らせる可能性があります(Kenny, 2011)。アレクサンダーテクニークは、これらの部位の緊張を解放し、舌がより自由かつ正確に動けるように促すことで、タンギングの明瞭性と反応速度を改善します。

2.4 音色と表現力の深化

2.4.1 身体の共鳴を活かした豊かな響きの創造

楽器の音色は、演奏者の身体全体が共鳴体として機能することで豊かになります。不必要な緊張があると、この自然な共鳴が阻害され、音が硬くなったり、響きが乏しくなったりすることがあります(Alexander, 1932)。アレクサンダーテクニークによって身体の自由度が高まると、楽器の振動が身体全体に響き渡りやすくなり、より豊かな音色を生み出すことができます。

2.4.2 音のニュアンスやダイナミクスのコントロール向上

音楽表現において、音のニュアンスやダイナミクスの変化は非常に重要です。身体の緊張が解放され、呼吸がよりコントロールできるようになると、息の圧力やアンブシュア(口の形)などをより繊細にコントロールすることが可能になります(Dennis, 2000)。これにより、ピアニッシモからフォルテッシモまで、幅広いダイナミクスレンジと、様々な音色やアーティキュレーションを意図的に表現できるようになります。

2.4.3 音楽解釈と身体表現のより自由な結びつき

音楽的なアイデアや感情を音として表現する際、身体は重要な媒介となります。身体の不必要な緊張が解放され、より自由で自然な身体の使い方ができるようになると、音楽的な解釈が身体を通してより直接的に表現されるようになります(Gelb, 2002)。演奏者は、技術的な制約から解放され、音楽そのものに集中し、より深い感情を込めた演奏が可能になります。

2.5 メンタル面へのポジティブな影響

2.5.1 演奏中の思考と身体反応の関係性の理解

アレクサンダーテクニークは、身体的な側面に加えて、思考と身体反応の密接な関係性についても気づきを与えます。演奏中に「ミスをしてはいけない」といった不安や焦りの思考が、身体の過度な緊張を引き起こし、さらにパフォーマンスを悪化させるという悪循環を理解することができます(Valentine, 2006)。

2.5.2 過度な緊張やあがり症のメカニズムとセルフケア

本番前や演奏中に感じる過度な緊張やあがり症は、多くの演奏者にとって共通の悩みです。アレクサンダーテクニークは、これらの反応が単なる心理的な問題ではなく、身体の過度な緊張と深く関連していることを理解させます(Alexander, 1932)。テクニックを学ぶことで、緊張を感じた際にどのように身体を緩め、思考を建設的な方向へ導くかのセルフケアの方法を身につけることができます。

2.5.3 集中力の向上と本番での安定したパフォーマンス

身体の不必要な緊張が解放され、思考がクリアになると、演奏への集中力が高まります(Jones, 1997)。また、予期せぬ状況に対する適応力も向上し、本番においても安定したパフォーマンスを発揮できるようになります。アレクサンダーテクニークは、演奏者が自身の身体と心の状態をより深く理解し、コントロールするための有効な手段となるのです。

3章 サックス演奏に活かすアレクサンダーテクニークの主要原理

3.1 プライマリーコントロール(Primary Control):全ての動きの基礎

3.1.1 頭と脊椎の調和的な関係の重要性

プライマリーコントロールは、アレクサンダーテクニークの根幹をなす概念であり、頭と首、そして脊椎全体の間の動的な関係性を指します(Alexander, 1932)。この関係性が調和しているとき、全身の筋肉は適切に協調し、動きは効率的で自由になります。具体的には、頭が脊椎の頂点で軽くバランスを取り、首の筋肉がリラックスしている状態が理想的です。この状態が崩れると、全身に不必要な緊張が波及し、姿勢の歪みや動作のぎこちなさにつながります(Jones, 1997)。

3.1.2 サックス演奏時におけるプライマリーコントロールの意識的な活用

サックス演奏は、楽器の重量を支え、特定の姿勢を維持しながら、複雑な指の動きや呼吸を伴うため、プライマリーコントロールの意識的な活用が極めて重要となります。演奏者は、演奏中に「頭は脊椎の頂点で自由にバランスを取り、前へそして上方へ向かう意図を持つ」「首の筋肉はリラックスし、喉頭は自由に保たれる」「背骨は長く伸び、広がりを感じる」といった一連の「指示(Directions)」を自身に送ることで、プライマリーコントロールを積極的に働かせることができます(Brennan, 2004)。

例えば、英国王立音楽大学(Royal College of Music)の研究者であるエミリー・バレンタイン(Emily Valentine)は、音楽家のパフォーマンスにおけるアレクサンダーテクニークの効果に関する研究において、プライマリーコントロールの意識が姿勢の安定性と呼吸効率の向上に寄与する可能性を示唆しています(Valentine, 2006)。サックス演奏者がこの原理を意識することで、楽器の重さによる首や肩への負担を軽減し、より楽な姿勢を維持することが可能になります。

さらに、適切なプライマリーコントロールは、呼吸機能の最適化にも不可欠です。首や肩の過度な緊張が解放されると、横隔膜や肋間筋といった呼吸筋群がより自由に活動できるようになり、深く、効率的な呼吸を促します(Hodges & Gandevia, 2000)。これは、安定した音色、十分な音量、そして長いフレーズを演奏するための基礎となります。

また、身体全体のバランスが改善されることで、指の動きやタンギングといった細かい運動の制御も向上します。不必要な緊張が減少することで、指はより迅速かつ正確に動き、タンギングはより明瞭になります。このように、プライマリーコントロールを意識的に活用することは、サックス演奏における技術的な向上だけでなく、音楽的な表現の自由度を高めることにも繋がります。演奏者は、常にこの身体の基本的な調整原理に意識を向け、演奏のあらゆる瞬間にそれを活用することで、より快適で、より表現豊かな演奏を実現することができるのです。

3.2 インヒビション(Inhibition):習慣的な反応の抑制

3.2.1 刺激に対する自動的な反応を意識的に止めること

インヒビションは、アレクサンダーテクニークにおける重要な概念の一つであり、何らかの刺激に対して私たちが無意識に行う習慣的な反応を、意識的に一時停止させるプロセスを指します(Alexander, 1932)。日常生活や楽器演奏において、私たちは多くの自動的な反応パターンを持っており、それらが必ずしも効率的であるとは限りません。インヒビションは、これらの自動的な反応に気づき、実行する前に「しない(to do nothing)」という選択肢を持つことを可能にします(Gelb, 2002)。

3.2.2 サックス演奏における不利益な身体習慣の抑制方法

サックス演奏においては、特定の音を出す際につい身体を硬くしたり、難しいパッセージに差し掛かると呼吸が浅くなったりするなど、多くの不利益な身体習慣が見られます。インヒビションを実践することで、これらの習慣的な反応が起こりそうになった瞬間に気づき、それを抑制することができます。例えば、高音域を演奏する際に首を前に突き出す癖がある場合、その衝動を感じたときに一度動きを止め、「首は自由に、頭は前へそして上へ」という指示を送ることで、より建設的な身体の使い方を選択することができます(Jones, 1997)。

3.3 ディレクション(Direction):望ましい身体の使い方の方向付け

3.3.1 建設的な思考による身体への指示

ディレクションとは、インヒビションによって習慣的な反応を抑制した後に、身体がどのように動くべきかの意図を明確にすることです(Alexander, 1932)。これは、単なる「正しい姿勢」を強制するのではなく、「首は自由に」「頭は前へそして上へ」「背中は広く」「脚は地面を支える」といった、動きの方向性を示す建設的な思考を用いることが特徴です(Brennan, 2004)。これらの指示は、身体の各部分がどのように協調して働くべきかのガイドラインとなり、より効率的で楽な動きを促します。

3.3.2 サックス演奏中の具体的なディレクションの例とその効果

サックス演奏中には、様々な具体的なディレクションを活用することができます。例えば、呼吸をする際には「息が全身に広がるように」「背中が広がるように」と意識することで、より深い呼吸を促すことができます。フィンガリングを行う際には「指先は鍵盤に軽く触れるように」「腕全体が自由に動くように」と意識することで、滑らかで正確な指の動きをサポートできます。楽器を保持する際には「楽器は身体全体で支えるように」「肩はリラックスしたまま」と意識することで、特定の部位への負担を軽減できます。これらのディレクションを意識的に用いることで、演奏パフォーマンスの向上と疲労軽減につながります。

3.4 エンド・ゲイニング(End-gaining)からの解放:プロセスへの集中

3.4.1 結果(例:完璧な音を出すこと)への過度な執着とその弊害

エンド・ゲイニングとは、目標や結果(例えば、完璧な音を出すこと、難しいパッセージをミスなく演奏することなど)に過度に執着する傾向を指します(Alexander, 1932)。この執着は、演奏中に不必要な緊張を生み出し、本来のパフォーマンスを妨げる可能性があります。目標達成への強い意識は、かえって身体の動きを硬くし、自然な流れを阻害することがあります(Gelb, 2002)。

3.4.2 演奏のプロセス自体に意識を向けることの重要性

アレクサンダーテクニークは、結果への過度な執着から解放され、演奏のプロセスそのものに意識を向けることの重要性を強調します。音を出す瞬間、指が動く感覚、呼吸の流れなど、演奏に関わる一連の動作を意識的に体験することに焦点を当てることで、不必要な緊張が減少し、より自然で流れるような演奏が可能になります(Jones, 1997)。プロセスに意識を向けることで、結果は自然と向上することが期待されます。

3.5 感覚認識の信頼性(Unreliable Sensory Appreciation):思い込みへの対処

3.5.1 自分の身体感覚が必ずしも正確ではないことの認識

私たちは、自分の身体の状態や動きを常に正確に感じ取っているとは限りません。長年の習慣によって、不適切な身体の使い方をしているにもかかわらず、それが「普通」であると感じてしまうことがあります(Alexander, 1932)。アレクサンダーテクニークは、この「感覚認識の信頼性のなさ(Unreliable Sensory Appreciation)」を理解することから始まります。私たちが感じている「楽な姿勢」や「正しい動き」が、実際には非効率的である可能性があることを認識することが、改善への第一歩となります。

3.5.2 客観的な観察と気づきを通じた身体感覚の再教育

感覚認識の信頼性を高めるためには、主観的な感覚だけでなく、客観的な観察やフィードバックが重要になります。アレクサンダーテクニークのレッスンでは、教師による触覚的な誘導や言葉による指示、鏡を使った自己観察などを通じて、自身の身体の使い方を客観的に理解する機会が提供されます(Brennan, 2004)。これらの経験を通じて、演奏者は自身の身体感覚のずれに気づき、より効率的でバランスの取れた身体の使い方を再学習していきます。このプロセスは、単に「正しい形」を覚えるのではなく、身体全体で新しい感覚を体験し、それを統合していくことに重点が置かれます。

まとめとその他

まとめ

アレクサンダーテクニークは、サックス演奏者にとって、単なる身体の調整法を超えた、演奏パフォーマンスと音楽性を深く向上させるための有効なツールです。「気づき」と「選択」を基本とし、プライマリーコントロールの改善、不必要な習慣の抑制、建設的な指示、プロセスへの集中、そして感覚認識の再教育といった主要な原理を理解し実践することで、呼吸機能の最適化、姿勢改善、テクニックの向上、音色と表現力の深化、さらにはメンタル面へのポジティブな影響まで、多岐にわたる恩恵をもたらします。

参考文献

Alexander, F. M. (1932). The use of the self. Methuen & Co.

Brennan, D. (2004). The Alexander Technique: A practical introduction. Element Books.

Dennis, R. J. (2000). The use of the Alexander Technique by musicians. British Journal of Music Education, 17(3), 369-374.

Gelb, M. J. (2002). Body learning: An introduction to the Alexander Technique. Henry Holt and Company.

Hodges, P. W., & Gandevia, S. C. (2000). Changes in respiratory muscle activity during voluntary and postural tasks in sitting and standing. Respiration Physiology, 121(1), 79-92.

Jones, F. P. (1997). Body awareness in action: A study of the Alexander Technique. Schocken Books.

Kenny, W. (2011). The physical demands of playing a musical instrument. BMJ, 343, d6477.

Osborne, M. S., & Kenny, D. T. (2005). Musculoskeletal problems of professional orchestral musicians in Australia. Medical Problems of Performing Artists, 20(2), 47-51.

Ranelli, S. A., Straker, L. M., & Smith, A. J. (2014). Playing-related musculoskeletal disorders in children and adolescents learning musical instruments: A systematic review. Ergonomics, 57(7), 977-990.

Valentine, E. R. (2006). The Alexander Technique: Its value for performing artists. Journal of Bodywork and Movement Therapies, 10(1), 34-42.

Valentine, E., McGregor, A. H., & Stebbings, J. (1995). The effect of lessons in the Alexander Technique on measures of postural control in normal subjects. Journal of the Royal Society of Medicine, 88(10), 562-565.

本ブログ記事は情報提供のみを目的としており、アレクサンダーテクニークの効果には個人差があります。実践は自己責任において行い、必要に応じて専門家の指導を受けてください。記事の内容に関するいかなる保証もいたしません。

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