肩や首の痛みを解消!ファゴット奏者のためのアレクサンダーテクニーク実践ガイド

1章: はじめに – なぜファゴット奏者は肩や首を痛めやすいのか

音楽演奏は、芸術的表現であると同時に、高度に専門化された身体活動です。特にファゴット奏者は、楽器の物理的特性と演奏に要求される特異な姿勢から、筋骨格系の愁訴、とりわけ頸部および肩部の疼痛を発症するリスクが高いことが指摘されています。本章では、その根本原因を解剖学的および人間工学的観点から分析し、その解決策としてアレクサンダーテクニークの有効性を概説します。

1.1 ファゴットという楽器の物理的特性

1.1.1 楽器の重量と重心バランス

ファゴットの重量は約3.4kgに達し、その細長い形状から重心は奏者の身体から離れた前方に位置します。この前方重心は、力学的にモーメントアームを増大させ、奏者の頸部後方筋群(特に僧帽筋上部線維や頭半棘筋)および脊柱起立筋群に持続的な静的負荷(static load)を強いることになります (Berque & Gray, 2002)。この静的筋収縮は、筋内圧を高め、血流を阻害し、代謝産物の蓄積とそれに伴う筋疲労や疼痛を引き起こす主要因です。

1.1.2 非対称な演奏姿勢

ファゴットの演奏姿勢は本質的に非対称(asymmetrical)です。楽器を斜めに構えることで、脊柱には回旋と側屈の力が同時に加わります。特に右利きの奏者の場合、右肩はやや前方に突き出され(前方突出)、左肩は後方に引かれる傾向があります。この非対称な負荷が長期にわたると、胸郭や骨盤のアライメントに歪みを生じさせ、腰方形筋や内外腹斜筋などの体幹筋群にアンバランスな緊張パターンを形成する可能性があります。オランダのロッテルダム音楽舞踊芸術大学のRaes et al. (2012) が音楽大学生186名を対象に行った調査では、木管楽器奏者は他の楽器奏者に比べて、演奏に関連する筋骨格系の愁訴(Playing-Related Musculoskeletal Disorders: PRMDs)を報告する割合が高いことが示されています。

1.2 演奏時に起こりがちな身体の「誤用」

1.2.1 無意識の筋緊張

高難度のパッセージや表現力が求められる場面において、奏者は目的とする音響結果を得るために、無意識のうちに過剰な筋緊張(hypertonus)を生じさせます。これは「共同収縮(co-contraction)」として知られる現象で、主動筋と拮抗筋が同時に収縮し、関節の動きを固めてしまいます。例えば、困難な運指を行う際に、指を動かす前腕の筋群だけでなく、無関係なはずの肩甲挙筋や胸鎖乳突筋までが不必要に収縮します。この現象は、運動制御における効率性の低下であり、エネルギー消費を増大させるだけでなく、特定の筋群への過負荷を招きます。

1.2.2 呼吸と身体の固定化

ファゴットのロングトーンやダイナミクスの制御には、安定した呼気の流れが不可欠です。しかし多くの奏者は、呼気圧を高めようとするあまり、横隔膜や肋間筋といった主要呼吸筋群だけでなく、腹直筋や腹斜筋群を過度に固めてしまいます。さらに、息を吸う際に肩をすくめ、胸鎖乳突筋や斜角筋群といった呼吸補助筋を動員する誤った呼吸パターンが習慣化することがあります。これは胸郭の可動性を著しく制限し、頸部への直接的なストレスとなると同時に、効率的なガス交換を妨げる要因となります。

1.3 アレクサンダーテクニークとは何か

1.3.1 身体の再教育法としての概論

アレクサンダーテクニークは、F.M.アレクサンダー(1869-1955)によって開発された心身の再教育法です。その中核は、活動における自己の「使い方(Use)」が、その人の「機能(Functioning)」に多大な影響を与えるという考え方に基づいています (Alexander, 1932/2001)。本テクニークは、特定の運動や姿勢を教えるのではなく、活動のプロセスにおいて習慣的な妨害(interference)を「抑制(Inhibition)」し、身体全体がより統合された形で機能するための「ディレクション(Direction)」を与えることを学習者に教えます。

1.3.2 「やめる」ことの哲学

アレクサンダーテクニークの根底には、「刺激(stimulus)」と「反応(response)」の間に意識的な介在を入れるという思想があります。多くの場合、我々の反応は無意識的かつ習慣的です。アレクサンダーは、この自動的な反応こそが「誤用(misuse)」の根源であると看破しました。したがって、テクニークの実践とは、何か新しいことを「する(doing)」のではなく、まず習慣的に行っている不必要な努力を「やめる(non-doing)」ことから始まります。この「抑制」のプロセスは、神経系に新しい選択肢を与え、より効率的で調和のとれた運動パターンを再学習するための基盤を築きます。

2章: ファゴット奏者が陥る具体的な問題とその原因

ファゴット奏者が経験する身体的問題は、単一の原因ではなく、姿勢、腕と指の使い方、呼吸という三つの要素が複雑に絡み合って生じます。本章では、これらの問題をバイオメカニクスと運動生理学の観点から詳細に分析します。

2.1 姿勢に関する問題

2.1.1 ストラップと首・肩への負担

ネックストラップは楽器の重量の一部を頸椎に直接伝達します。特にストラップが第7頸椎(C7)の棘突起周辺に集中してかかると、その圧迫は頸部後方の軟部組織に多大なストレスを与えます。この負荷を代償するために、僧帽筋上部線維や肩甲挙筋は持続的な等尺性収縮を強いられます。この状態は、頭部前方突出姿勢(Forward Head Posture, FHP)を誘発、または悪化させる可能性があります。FHPは、頭部が1インチ(約2.5cm)前方に移動するごとに、頸椎にかかる負荷が約4.5kg増加するとされており、頸椎椎間板への圧迫や神経根症状のリスクを高めることが、ニューヨーク大学医学部のKenneth K. Hansraj脊椎外科部長による研究で示されています (Hansraj, 2014)。

2.1.2 椅子の座り方と骨盤の傾き

多くの奏者は、演奏に集中するあまり、骨盤を後傾させ、仙骨で座る「スランプ姿勢」に陥りがちです。この姿勢は、腰椎の自然な前弯(ロードーシス)を消失させ、胸椎の後弯(カイフォーシス)を増強させます。その結果、バランスをとるために頭部が前方に突出し、FHPが助長されます。坐骨結節(ischial tuberosities)に均等に体重を乗せて座ることは、骨盤をニュートラルな位置に保ち、その上に脊柱が効率的に積み重なるための基礎となります。

2.1.3 譜面台の高さと視線

譜面台が低すぎると、奏者は楽譜を見るために頭頸部を屈曲させ続けることになります。この持続的な屈曲は、頸部伸筋群に過剰な伸張ストレスを与えると同時に、顎を引く深層頸部屈筋群(deep neck flexors)の活動を弱化させ、FHPをさらに悪化させる一因となります。視線を水平に保てるよう譜面台の高さを適切に調整することは、頸椎のニュートラルアライメントを維持するために不可欠です。

2.2 腕と指に関する問題

2.2.1 右手の親指と手首の過緊張

ハンドレストに乗せる右手の親指は、楽器を安定させるための重要な支点ですが、多くの奏者は楽器を「握りしめる(gripping)」ことで過剰な力を加えています。母指対立筋や母指内転筋の持続的な収縮は、手根管内の圧力を高め、正中神経を圧迫する手根管症候群のリスク因子となり得ます。また、手首の過度な掌屈や背屈は、前腕の伸筋・屈筋群に不必要な負荷をかけ、外側上顆炎(テニス肘)や内側上顆炎(ゴルフ肘)といった反復性ストレス障害(Repetitive Strain Injury, RSI)につながる可能性があります。

2.2.2 左手の不自然なひねりと指の力み

左手は楽器の重量を支えながら複雑なキー操作を行うため、手首の尺屈と回内を強いられる不自然なポジションになりがちです。この状態で指を独立して動かそうとすると、指の総指伸筋や浅指屈筋・深指屈筋に過剰な努力が生じ、これが前腕、上腕、さらには肩や首の緊張へと波及します。このような末端(distal)の過緊張が中枢(proximal)の固定化を引き起こす現象は、運動連鎖(kinetic chain)の観点からも説明できます。

2.2.3 腕全体を固めてしまう癖

人間の腕は、鎖骨と胸骨をつなぐ胸鎖関節を基点として、背中の広背筋や前鋸筋といった大きな筋肉群と連動して動くように設計されています。しかし、多くの奏者は腕を肩関節から独立したユニットとして捉え、三角筋や上腕二頭筋・三頭筋といった比較的小さな筋肉で操作しようとします。この「分離された」腕の使い方は、肩甲帯の自由な動きを阻害し、肩甲骨を胸郭に固定化させ、結果として頸部への負担を増大させます。

2.3 呼吸に関する問題

2.3.1 ブレスコントロールと胸郭の固定

安定したアンブシュアと音質を求めて、奏者はしばしば腹壁の筋肉(腹直筋、内外腹斜筋、腹横筋)を過度に固め、呼気流をコントロールしようとします。このアプローチは短期的には有効に見えるかもしれませんが、長期的には胸郭下部の可動性を著しく制限します。胸郭が固定化されると、横隔膜の下降運動が妨げられ、呼吸の効率が低下します。その結果、より多くの努力が必要となり、悪循環に陥ります。

2.3.2 息を吸う際の肩の挙上

効率的な吸気は、主に横隔膜の収縮による下降と、外肋間筋の収縮による胸郭の拡大によって行われます。しかし、胸郭下部が固定化されている奏者は、代償作用として、胸鎖乳突筋、斜角筋群、僧帽筋上部線ervical-brachial pain syndrome among professional musicians in Japan. Medical Problems of Performing Artists, 17(4), 147-151.

3章: アレクサンダーテクニークの基本原則

アレクサンダーテクニークは、身体に染み付いた非効率な習慣を脱し、より調和のとれた心身の状態を取り戻すための、4つの相互に関連した原則に基づいています。これらの原則は、神経科学、心理学、バイオメカニクスの知見とも深く共鳴します。

3.1 認識(Awareness)- 自分の身体の使い方の癖に気づく

3.1.1 感覚の信頼性を疑う

アレクサンダーテクニークの出発点は、自分自身の感覚的認識(sensory appreciation)が必ずしも信頼できない、という事実を受け入れることです。長年の習慣によって形成された身体の使い方は、たとえそれが非効率で有害であっても、本人にとっては「普通」で「正しい」と感じられます。ドイツのハイデルベルク大学のFlor教授らの研究によれば、慢性痛を持つ患者は、脳における身体表象(body schema)が歪んでいることが多く、これが不適切な運動パターンを永続させる一因となっていることが示唆されています (Flor & Diers, 2009)。アレクサンダーテクニークは、この主観的な「感じ」に頼るのではなく、客観的な思考と観察を通じて、実際の身体の使い方を認識する能力を養います。

3.1.2 演奏中の身体のモニタリング

認識とは、演奏中に「自分の肩が上がっている」「顎を噛み締めている」といった具体的な事実に、リアルタイムで気づく能力です。これは、単に自分を批判することではなく、価値判断を伴わない、中立的な自己観察のプロセスです。このメタ認知的なスキルは、問題解決の第一歩となります。

3.2 抑制(Inhibition)- 習慣的な反応を意識的にやめる

3.2.1 刺激と反応の間にスペースを作る

抑制とは、何かをしようとする思考(刺激)に対して、即座に、習慣的に行動(反応)するのを意識的に差し止めることです。例えば、「難しいパッセージを吹く」という刺激に対し、「肩をすくめて息を固める」という習慣的反応が起こる前に、「何もしない」という選択をします。神経科学的には、このプロセスは、大脳皮質の前頭前野が司る実行機能(executive function)の一部であり、衝動的な行動や習慣的な行動をコントロールする能力に対応します。

3.2.2 「頑張る」のをやめることの重要性

米国のタフツ大学で研究を行ったアレクサンダー教師、Frank Pierce Jonesは、被験者が突然の大きな音(刺激)に対して示す驚愕反応(startle pattern)を筋電図(EMG)を用いて研究しました。その結果、アレクサンダーテクニークのレッスンを受けた被験者は、レッスンを受けていない対照群に比べ、驚愕反応における頸部筋の過剰な収縮が有意に少ないことを発見しました (Jones, 1965)。これは、「抑制」の訓練が、不随意なレベルでの神経筋反応パターンをも変化させる可能性を示唆しています。

3.3 ディレクション(Direction)- 身体に建設的な指示を与える

3.3.1 身体の地図を書き換える

抑制によって習慣的な反応をやめた後、生じた「スペース」に、より建設的な身体の協調を促すための思考の指示、すなわち「ディレクション」を与えます。これは、例えば「首が自由になり、頭が前方と上方へ向かい、背中が長く広く伸びていく」といった、身体の各部分の動的な関係性に関する一連の指示です。これは具体的な身体操作を強制するものではなく、意図(intention)のレベルで働くものです。

3.3.2 具体的なディレクションの例

ディレクションは、運動イメージ(motor imagery)と密接に関連しています。フランスの神経科学者であるMarc Jeannerodの研究によれば、運動を心に思い描くだけで、実際にその運動を行うときと同じ脳の運動関連領域(補足運動野や運動前野など)が活性化することが示されています (Jeannerod, 1994)。ディレクションは、この神経メカニズムを利用して、実際の動きを伴わずに、より効率的な神経筋の協調パターンを脳に「プライミング」するプロセスと解釈できます。

3.4 プライマリー・コントロール(Primary Control)- 全身の調和の鍵

3.4.1 頭・首・背骨の関係性

プライマリー・コントロールとは、F.M.アレクサンダーが発見した、人間のコーディネーション全体を支配する、頭・首・胴体(背骨)の動的な関係性を指します。具体的には、首の筋肉が不必要に緊張せず、頭部が脊椎の最上部で自由にバランスをとり、その結果として脊椎全体が過度な圧縮から解放され、自然な長さを保つ状態を指します。

3.4.2 プライマリー・コントロールが演奏に与える影響

この頭・首・胴体の関係性が最適に機能しているとき、四肢(腕や脚)は、体幹の安定性に妨げられることなく、自由に効率的に動くことができます。逆に、首を固めて頭と脊椎の関係性が崩れると、それは全身の筋緊張のアンバランス、呼吸の制限、そして四肢の不器用な動きとして現れます。英国のインペリアル・カレッジ・ロンドンの研究者、Tim Cacciatore博士らによる一連の研究は、アレクサンダーテクニークのレッスンが、姿勢筋緊張の動的な調節能力を改善し、特にプライマリー・コントロールに関わる頸部と体幹の協調性を高めることを示しています (Cacciatore et al., 2009; Cacciatore et al., 2011)。

4章: 演奏に応用するアレクサンダーテクニーク

アレクサンダーテクニークの原則は抽象的に聞こえるかもしれませんが、ファゴット演奏の具体的な動作に直接応用することができます。ここでは、楽器の構え方から運指、呼吸に至るまで、テクニークを実践的に活用する方法を探ります。

4.1 楽器を構える

4.1.1 座骨で座り、脊椎を解放する

まず「抑制」を用いて、椅子にどっしりと座り込む習慣的な反応をやめます。次に「ディレクション」を使い、「坐骨が椅子に向かって下りていき、頭が天井に向かって上がっていくことで、その間の脊椎が伸びていく」ことを意図します。これにより、骨盤は安定した土台となり、その上に乗る脊椎は圧縮から解放され、自由に動ける状態になります。

4.1.2 楽器を「支える」から「バランスをとる」へ

楽器を「力で支える」という考え方を手放します。代わりに、楽器、ストラップ、そして自分自身の身体が一体となった一つのシステムとして、どのようにバランスが取れるかを探求します。プライマリー・コントロールが機能していれば、身体は微細な姿勢調整を自動的に行い、最小限の力で楽器のバランスを保つことが可能になります。

4.1.3 ストラップの役割の再定義

ストラップは首で楽器を「吊るす」ためのものではなく、楽器の重量をより広く背中や肩甲帯に分散させるためのツールと捉え直します。ディレクションを用いて「背中が広く、肩が横に広がっていく」ことを意図すると、鎖骨や肩甲骨が自由になり、ストラップの圧力が一点に集中するのを防ぐことができます。

4.2 運指と腕の自由

4.2.1 指は腕や背中と繋がっている

運指を「指だけの仕事」と考えるのをやめます。解剖学的に、指を動かす筋群の多くは前腕に起始し、腕全体は肩甲骨を介して広背筋や僧帽筋といった広大な背中の筋肉と繋がっています。ディレクションを用いて「指先から背骨までの繋がり」を意識することで、指の動きをより大きな運動連鎖の一部として捉え、末端の過剰な努力を減らすことができます。

4.2.2 肩甲骨の自由な動きを意識する

腕を動かす際に、肩甲骨が胸郭の上を自由に滑ることを許容します。アレクサンダー教師であるCacciatore博士らの研究では、アレクサンダーテクニークのレッスンを受けた参加者は、動作開始時における姿勢の安定性を確保するための「予測的姿勢調節(Anticipatory Postural Adjustments, APAs)」がより効率的になることが示されました (Cacciatore et al., 2011)。これは、腕を動かすといった意図的な動作の前に、体幹の筋肉がより適切に準備されることを意味し、肩や首の固定化を防ぎます。

4.2.3 手首を柔らかく保つ

手首を固定せず、橈骨と尺骨が自由に回旋し、手根骨がしなやかに動くことを意図します。手首の柔軟性は、指の独立した動きを可能にし、前腕の筋群への負担を軽減するための鍵となります。

4.3 自由な呼吸のために

4.3.1 身体の内部空間を意識する

息を「吸い込む」のではなく、身体の内部(特に胴体の3次元的な空間)が広がることを許し、その結果として空気が自然に入ってくる、というプロセスを意図します。ディレクションを用いて、「胴体が前後、左右、上下に全方向に広がっていく」ことを考えます。

4.3.2 呼吸に伴う身体の自然な動きを妨げない

米国のチェスト誌に掲載された研究では、健康な成人19名を対象に、アレクサンダーテクニークのレッスンを10回行ったところ、最大吸気圧と最大呼気圧が有意に向上し、呼吸筋機能が改善したことが報告されています (Austin & Ausubel, 1992)。これは、テクニークが呼吸動作に伴う不必要な筋緊張を取り除き、横隔膜や肋間筋といった主要呼吸筋がより効率的に働くことを可能にした結果と考えられます。演奏中は、この自然な呼吸のメカニズムを妨害しないように「抑制」を使い続けます。

4.3.3 アントラ・ガスペ(あえぎ吸い)からの脱却

囁き声で「アー(Ah)」と発声しながら息を吐ききる「ウィスパード・アー」は、アレクサンダーテクニークで用いられる手続きの一つです。これは、声帯の不必要な緊張を取り除き、呼気と声の生成の協調を改善するのに役立ちます。この練習を通じて、息を吸う際に喉や顎を固める癖(アントラ・ガスペ)に気づき、それを抑制することができます。

5章: 日常生活で実践するアレクサンダーテクニーク

演奏技術の向上は、練習時間のみならず、24時間すべての活動における身体の使い方の質に左右されます。アレクサンダーテクニークを日常生活に取り入れることは、練習室で培った気づきを定着させ、根本的な変化を促すために不可欠です。これは、運動学習における「転移(transfer)」の原則、すなわち、ある文脈で学習したスキルが別の文脈でも適用される現象に基づいています。

5.1 演奏以外の時間こそが重要

5.1.1 歩行時の身体の使い方

歩くという日常的な動作は、プライマリー・コントロールを実践する絶好の機会です。「頭が前方と上方へ、背中が長く広く」というディレクションを保ちながら、足が地面から離れ、前方に振り出され、再び着地するという一連の動きを観察します。腕が肩から自然に振れるのを妨げず、胴体が硬直しないように意識します。

5.1.2 デスクワークやスマートフォンの操作姿勢

楽譜の読み書きやコンピューター作業、スマートフォンの操作は、頭部前方突出姿勢(FHP)を最も誘発しやすい活動です。定期的に作業を中断し、「抑制」を用いてスクリーンに引き込まれる習慣的な反応を止めます。そして、ディレクションを用いて頭と脊椎の関係性を再構築し、座り直します。モニターやデバイスを目の高さに調整するといった環境の工夫も、良好な身体の使い方をサポートします。

5.1.3 休息と身体の解放

休息の質を高めるために、「セミ・スパイン」または「アクティブ・レスト」と呼ばれる姿勢を実践します。これは、床に仰向けになり、膝を立て、頭の下に数冊の本を置いて、頭が胴体に対してわずかに高い位置に来るようにするものです。この姿勢を10〜15分間保つことで、重力の影響下で脊椎を伸長させ、背中の深層筋の習慣的な緊張を解放するのに役立ちます。

5.2 練習の質を高めるために

5.2.1 練習前後の身体の観察

練習を始める前に数分間、静かに立ち、現在の自分の身体の状態(筋緊張、バランス、呼吸など)を観察します。練習後にも同様の観察を行い、練習が自分の身体の使い方にどのような影響を与えたかを比較します。このプロセスは、自己認識(Awareness)の能力を高め、問題の早期発見につながります。

5.2.2 休憩の取り方と心身のリセット

長時間同じ姿勢で練習を続けるのではなく、20〜30分ごとに短い休憩を取り入れます。休憩中には楽器から離れ、セミ・スパインの姿勢をとったり、少し歩き回ったりして、身体と心をリセットします。この意図的な中断は、集中力を維持し、非効率な習慣が再発・定着するのを防ぐ上で極めて重要です。

まとめとその他

6.1 まとめ

ファゴット奏者が直面する肩や首の痛みは、楽器の物理的特性と、長年の練習によって形成された無意識的で非効率な身体の「誤用」が組み合わさって生じる、複雑な問題です。アレクサンダーテクニークは、特定の治療法やエクササイズではなく、認識、抑制、ディレクション、プライマリー・コントロールという普遍的な原則を通じて、心身の習慣的な反応パターンに気づき、それを変容させていくための教育的プロセスです。

本稿で詳述したように、このテクニークを演奏だけでなく日常生活全般に応用することで、奏者は不必要な筋緊張から解放され、より自由で効率的な身体の協調性を再発見することができます。それは、単に痛みを解消するだけでなく、呼吸の深化、技術的な安定性の向上、そして表現の幅の拡大といった、音楽的パフォーマンスそのものの質の向上に直結する可能性を秘めています。アレクサンダーテクニークの実践は、生涯にわたる自己探求の旅であり、奏者が自身の身体という最高の楽器を、より賢く、より調和のとれた形で使いこなすための強力な指針となるでしょう。

6.2 参考文献

  • Alexander, F. M. (2001). The use of the self. Orion. (Original work published 1932).
  • Austin, J. H., & Ausubel, P. (1992). Enhanced respiratory muscular function in normal adults after lessons in proprioceptive musculoskeletal education without exercises. Chest, 102(2), 486–490.
  • Berque, P., & Gray, H. (2002). The influence of the seat on the musician’s posture. Ergonomics, 45(6), 422-436.
  • Cacciatore, T. W., Mian, O. S., & Day, B. L. (2009). A motor-learning basis for the Alexander technique’s effect on postural tone. In Proceedings of the 2009 international conference on Posture and Gait Research.
  • Cacciatore, T. W., Gurfinkel, V. S., Horak, F. B., Cordo, P. J., & Ames, K. E. (2011). Increased dynamic regulation of postural tone through Alexander Technique training. Human Movement Science, 30(1), 74–89.
  • Flor, H., & Diers, M. (2009). Sensorimotor training and cortical reorganization. NeuroRehabilitation, 25(1), 19-27.
  • Hansraj, K. K. (2014). Assessment of stresses in the cervical spine caused by posture and position of the head. Surgical Technology International, 25, 277–279.
  • Jeannerod, M. (1994). The representing brain: Neural correlates of motor intention and imagery. Behavioral and Brain Sciences, 17(2), 187–202.
  • Jones, F. P. (1965). Method for changing stereotyped response patterns by the inhibition of certain postural sets. Psychological Review, 72(3), 196–214.
  • O’Sullivan, P. B., Dankaerts, W., Burnett, A. F., Farrell, G. T., Jefford, E., Naylor, C. S., & O’Sullivan, K. J. (2006). Effect of different upright sitting postures on spinal-pelvic curvature and trunk muscle activation in a pain-free population. Spine, 31(19), E707–E712.
  • Raes, E., van Eijsden-Besseling, M. D., & Smeets, R. J. (2012). Prevalence and risk factors for playing-related musculoskeletal disorders in music students. Medical Problems of Performing Artists, 27(3), 135-141.

6.3 免責事項

本記事で提供される情報は、教育目的であり、医学的アドバイスに代わるものではありません。身体に痛みや不調がある場合は、自己判断せず、必ず医師や理学療法士などの資格を持つ医療専門家にご相談ください。アレクサンダーテクニークは、多くの人にとって有益な教育法ですが、その効果には個人差があります。テクニークを学ぶ際は、資格を持つ教師の指導を受けることを強く推奨します。本記事の情報に基づいて行われたいかなる行為についても、筆者および発行者は一切の責任を負いかねます。

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